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高知地方裁判所 平成7年(ワ)166号 判決

本訴原告(反訴及び平成七年(ワ)第三五一号事件被告(以下「原告」という)

伊藤みな子

右訴訟代理人弁護士

横田聰

本訴被告(反訴及び平成七年(ワ)第三五一号事件原告(以下「被告冨士子」という)

横畠冨士子

外二名

右被告ら三名訴訟代理人弁護士

藤原充子

小泉武嗣

主文

一  被告ら三名は、原告に対し、別紙物件目録記載の不動産にかかる訴外亡横畠敏博の持分権(二分の一)について、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  被告ら三名から原告に対する所有権(共有持分権)移転登記手続請求、被告横畠博昭から原告に対する遺骨引渡請求及び被告ら三名から原告に対する物品等引渡請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はすべて被告ら三名の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  原告

本訴事件

主文一項と同旨

二  被告ら

1  反訴事件

原告は、被告ら三名に対し、別紙物件目録記載の不動産にかかる原告の持分二分の一について、真正な登記名義の回復を原因とする被告冨士子の持分四分の一、被告博子及び被告博昭の持分各八分の一とする所有権一部移転登記手続をせよ。

2  平成七年(ワ)第三五一号事件(以下「併合事件」という)

(一) 原告は、被告博昭に対し、亡横畠敏博(以下「敏博」という)の遺骨を引き渡せ。

(二) 原告は、被告ら三名に対し、別紙目録記載の物品を引き渡せ。

第二  事案の概要

本件は、被告らが敏博の妻子であるところ、原告が敏博と内縁関係にあり、その内縁中に二分の一の共有持分登記をなした別紙物件目録記載の不動産について、敏博の死後、原告から敏博の持分権については実質的にすべて原告の所有であったとして、右持分権につき、敏博の相続人である被告らに対して真正な登記名義の回復を原因とする所有権一部移転登記手続を求め(本訴)、これに対して、被告らにおいては、逆に、原告の持分権については実質的にすべて敏博の所有であったとして、右持分権につき、原告に対して真正な登記名義の回復を原因とする所有権一部移転登記手続を求めるとともに(反訴)、原告が管理している遺骨や敏博の死後に授与された勲章等の引渡を求めた(併合事件)事案である。

一  争いがないか証拠により容易に認定できる事実(本訴、反訴、併合事件)

1  敏博は、高知県において警察官として勤務し、妻被告冨士子、子供被告博子及び同博昭がいたが、昭和五二年三月安芸警察署長を最後に定年退職した(争いはない)。退職後家族が居住していた不動産及び退職金、預金、年金等めぼしい財産のほとんど全てを妻被告冨士子に渡し、あるいは委ねて家を出て、昭和五四年一二月ころから原告と内縁関係に入り、原告の住居において同棲を始めた(原告本人、被告冨士子本人、弁論の全趣旨)。

2  その後、敏博は原告と同棲しながら、自動車学校の校長として勤務したり、宅地建物取引業や金融業等を行っていた(原告本人、被告冨士子)。

3  原告は、昭和三七年に婚姻して一子が出生した後離婚し、昭和四四年再婚して、更に二子が出生した(この中の一子が敏博の子であるか否かについて争いがあるが、本件と直接の関係はないので判断はしない)が、夫婦が不仲となり、昭和五三年三月離婚した(争いはない)。そして、この間、原告は、本業として昭和四三年ころから金融業を営み、昭和五三年ころから六年間ほどは喫茶店も兼業し、その後は再び本業として金融業を続けた(原告本人)。

4  原告と敏博は、平成三年一〇月、別紙物件目録記載の不動産(宅地二筆、その地上の建物、以下「本件不動産」という)について、競売手続における共同買い受け人となり、競落代金八一〇〇万一二七八円で競売許可決定を得て、二分の一宛の所有権を取得の登記がなされた(争いはない)。

5  敏博は、平成七年三月四日急死したが、原告において喪主として葬儀を行い、位牌、遺骨を管理している(争いはない)。

6  原告は、生前中の敏博から、自己が死亡したときは速やかに高知県警に申し出て、所定の手続を踏めば、死後叙勲が受けられると教えられていたことから、敏博の死亡後、直ちに所定の手続を取った結果、警察庁より叙勲候補者としての推薦が内閣総理大臣になされ、総理府賞勲局の審査を経て閣議決定、裁可を受けて、敏博に死後叙勲として正六位勲五等瑞宝章が授与され、警察庁からこれが原告に伝達され、原告において正六位の表彰状及び勲五等瑞宝章の勲章を保管している(争いがない)。

7  右のとおり、警察庁から原告に伝達された理由は、① 敏博において、配偶者と別居後、原告と同居して夫婦として生計を共にしている期間が一七年余に及んでいること、② 敏博は配偶者に何度も離婚の請求をなしたが応じて貰えず、原告を入籍できなかったこと、③ 敏博と原告は、媒酌人を数回努めるなど世間的に夫婦と認められていたこと、④ 配偶者は敏博の葬儀に出席しなかったこと、⑤ 原告は敏博の葬儀に際して喪主となり、葬儀の段取りを行い、自宅、遺品の管理から、位牌、墓所の手配まで行っていた、というものである(乙五五の一、二)。

二  当事者の主張

1  本訴及び反訴関係

(原告)

(一) 原告は、昭和四五年に金融業者として登録して日掛け金融を中心の業務を行い、平成元年には高知県貸金業協会に入会し、現在同協会の理事として高知県の金融界で重きをなし、常時四億円程度の資金を運用している。

(二) 本件不動産の代金八一〇〇万円余の資金は、その中六〇〇〇万円は原告が単独で銀行から借入れ、残り三〇〇〇万円は訴外大西喜美から借用したものであるが、敏博と共同名義となった理由は、当初共同取得する考えのもとに共同入札を行って落札できたが、代金調達のために銀行にローンの申込みをしたところ、敏博は収入、年齢共に資格を欠くと拒否され、止むなく原告が単独で借入をなし、その際、共同の落札をそのまま流用して、敏博名義を借用したため、持分がそれぞれ二分の一になったものである。

(三) 敏博は、退職後の昭和五三年ころから原告と同棲し、退職後から昭和五六年三月ころまでの四年間高知中央自動車学校の校長として勤務したが、その収入は原告に一切交付しないので、原告はその収入の詳細を知らないが、その生活は原告の営む金融業ないし喫茶店の収入で生活していたものである。

(四) 敏博は、昭和五四年一一月宅地建物取引業主任者の試験に合格し、自動車学校を退職後の昭和五七年七月ころから宅地建物取引業を始め、併せて、既に資格を取得していた行政書士の看板を掲げたが、殆ど収入のない状態であった。

(被告ら)

(一) 敏博は、原告と同棲中宅地建物取引業主任者の資格を取得し、宅地建物取引業を営み相当の収入を得ていた。また、行政書士としての業務も営み手数料を稼いでいたほか、金融業についても資金調達は敏博が行い、表向きは貸金業の許可を得ていた原告に業務を行わせていたが、実体は敏博の力で営業が成り立っていたものであり、被告博子においても、敏博に対して業務運営費として一億円を貸したことがある。

(二) 敏博は昭和五二年ころスナック花かんざしのホステスをしていた原告と知り合ったもので、原告は、敏博と同棲後において高価な着物類を買いあさり、外車等を二台購入し、競輪競馬の賭け事をなし、原告独自の資産形成はなかった。

(三) 敏博は、本件不動産を競落するため、銀行で借入をすることとしたが、高齢で借入資格がないと拒絶されたことから、この借入について原告名義を借用したもので、借入の実質は敏博であり、本件不動産の全部の所有権は敏博にある。

2  併合事件関係

(原告)

(一) 遺骨は相続財産を構成せず、祭祀財産と緊密な関係を有する祭祀対象財産として祭祀承継者に帰属すべきところ、原告と敏博は、昭和五三年ころから同棲して以来、社会的にも夫婦として他人の結婚の仲人をしたりして、実質的に夫婦関係にあったものであり、したがって、敏博の葬儀は原告が喪主となって執り行ったが、敏博は生前において、高知市新屋敷の近くの三の丸に墓地を選定し、自己が死んだら原告と二人の夫婦墓を建立して供養してくれと原告に依頼しており、右敏博の意思に従って原告は墓を建立し、供養しているのであって、敏博は、その生前において祭祀の承継、ことに自己の供養については原告にその方法まで指示していたのであるから、敏博の祭祀の承継者は原告であって、被告博昭が祭祀の承継者ではなく、祭祀財産と密接な関係を有する敏博の遺骨の引渡請求はできない。

(二) 別紙物件目録記載の位牌(以下「本件位牌」という)は、原告の費用で製作したものであって、原告の所有権に属することは明白であり、相続財産として被告らが請求できるものではない。

(三) 敏博の死後に授与された正六位勲五等瑞宝章は、死後叙勲であるところ、本来的に栄誉の伝達を受けるべき本人は死亡して存在せず、この矛盾を手続的に解決するために叙勲日を遡らせ、生前の最後の日付の叙勲としているが、これはあくまでも擬制に過ぎない。叙勲は、本人の功労に対して国から一方的に与えられ、本人に請求権があるわけではないから、相続開始時における相続財産を構成するものではない。もし、相続財産であるというのならば、叙勲の伝達は相続人が共同で行うことにならざるを得ないが、昭和三八年七月一二日閣議決定、勲章・記章・褒章等の授与及び伝達式例第四条によれば、勲三等以下の勲章は所管大臣が適宜受章者に伝達すると定められており、そこで、原告において敏博の意思、すなわち、自分が死亡したら警察に伝えてもらえば勲章が貰えるから、遺骨と一緒に保管して供養してくれとの依頼により、手続をとって伝達を受けたものであって、相続財産とするには無理がある。

むしろ死後叙勲については、生前叙勲とは異なり、本来本人の栄誉に属するものであるから、遺骨と同視して、祭祀の対象となると解すのが、制度の趣旨に合致する。

(被告ら)

(一) 遺骨は、相続財産であって、敏博の遺骨はその相続人である被告ら三名に帰属した。そして、右被告らは平成八年八月一四日遺産分割協議により、被告博昭が敏博の遺骨を単独で相続し、その余の遺産については、相続分どおりに相続することとなった。

仮に、遺骨が相続財産でなく、祭祀財産として祭祀の承継者に帰属するとしても、被告博昭こそが敏博の長男として慣習上の祭祀の承継者であり、敏博の遺骨を管理すべきものである。原告は、喪主として敏博の葬儀を行ったが、敏博が死亡後、被告ら相続人に何らの協議もせず、喪主と称して独断で葬儀を行う異常な状況下で遺骨を不法に占有している。

(二) 本件位牌は敏博の位牌であって、相続財産を構成する。

(三) 勲章は、国家又は公共に対し功労のあった証として、本来着用するために与えられるものである。死後叙勲もその発令日は生前の最後の日とされ、生前に叙勲されたように擬制されているが、これはまさに本人に発令日に遡って与えられたものであって、被伝達者に与えられたものではなく、相続財産を構成するから、相続人である被告らに所有権があり、したがって、原告に対して所有権に基づく引渡を請求するものである。この点、原告においても生前叙勲については、その勲章等は相続財産であることを認めるようであるが、それが生前であれ、死後であれ、本人の功績を讃え、それを表示するものである以上、区別する合理性はない。

なお、本件の死後叙勲の手続については、被告らの不知の間に、内縁の妻である原告に伝達されているが、高知県警や総理府賞勲局等においては、配偶者や子に対する調査もせず、原告に伝達しており、その伝達手続は違法といえなくても極めて不当である。

三  争点

1  本訴及び反訴関係については、本件不動産の所有者は誰か。

2  併合事件については、敏博の遺骨、本件位牌、死後叙勲により原告に伝達された正六位の表彰状及び勲五等瑞宝章の帰属する者は誰か。被告らは右物品について所有権に基づく引渡請求権を有するか。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠によれば、次のような事実が認められる。

(一) 原告は、昭和三七年に婚姻し、その後、離婚して再婚したが、夫に恵まれず、経済的自立を目指して、昭和四三年から貸金業を営み始め、昭和四五年からは許可も得て、以後ほぼ一貫して貸金業を営み、平成元年には高知県貸金業協会に入会し、現在同協会の理事となっており、その収益も相当のものがあったと推認される(本訴甲一五、一六、一七の一、二、一八の一、二、一九、二〇、二二の一、二(以下、特に断らない場合は本訴関係の証拠を指す)、原告本人第一回)。

(二) 本件不動産は、原告と敏博が住居として賃借していた建物とその敷地であるが、競落するに際し、原告と敏博において共同競落人となる相談のもとに、共同入札をなし、代金八一〇〇万円余で落札したが、資金調達として徳島銀行(本件不動産の差押債権者)で六〇〇〇万円のローンを組もうとしたところ、敏博の高年齢、低所得が原因となって、共同債務者としてはローンが組めず、結局、原告が債務者となり、敏博外一名が連帯保証人となって六〇〇〇万円を借受け(ローン契約書は五〇〇〇万円と一〇〇〇万円の二通となっている)、右の他に、原告において三〇〇〇万円を訴外大西喜美から借用し、右競落代金を支払い、その結果、平成三年一二月六日原告と敏博の持分が各二分の一とする所有権取得の登記(裁判所による嘱託登記)がなされた(甲五の一、二、六の一、二、一〇、二一の一、二、二四、原告本人第一回)。

(三) 原告は、右各借入金について、自己において支払いを続け、敏博が平成七年三月四日死亡した後である平成七年四月五日現在の徳島銀行における残高は、五〇〇〇万円のローンについては四〇四六万三七五六円(月額四四万六六二三円の支払)、一〇〇〇万円のローンについては八〇九万二七五三円(月額八万九三二四円の支払)であり、訴外大西喜美には一〇〇〇万円を支払い残金は二〇〇〇万円であった(甲九、一〇、原告本人第一回)。

また、調査嘱託の結果によれば、徳島銀行における平成八年一月二二日現在の残高は、五〇〇〇万円のローンについては三七八一万〇八八五円、一〇〇〇万円のローンについては七五六万二一七九円となっている。

(四) 敏博の相続人である被告らは、敏博の死後本件不動産の借入金の支払には何ら関与していない(弁論の全趣旨)。

2  以上の事実によれば、原告は、本来は再競売により単独で落札すべきところ、共同の落札をそのまま生かして、敏博名義を借用した結果、持分がそれぞれ二分の一の嘱託登記がなされたもので、本件不動産の実体的所有権者はすべて原告にあるというべきである。

3  この点に関し、被告らは、敏博は原告と同棲中宅地建物取引業主任者の資格を取得し、宅地建物取引業を営み相当の収入を得ており、また、行政書士としての業務も営み手数料を稼いでいた旨主張する。確かに、敏博は昭和五六年に自動車学校の校長を退職した後、不動産仲介業や併せて行政書士としての業務も営んでいたと認められるが、税務申告書(平成三年から五年の三年分、枝番を含む甲一二ないし一四)及び原告本人尋問の結果(第一回)によっても、さしたる収益はなく、生存中においても、多額のローン債務や一〇〇〇万円の借入金を支払う余裕があったとは考えられない。

また、被告らは、金融業について資金調達は敏博が行い、表向きは貸金業の許可を得ていた原告に業務を行わせており、実体は敏博の力で営業が成り立っていたと主張する。しかし、敏博は家を出るに際し、めぼしい財産や年金の受給について全て妻である被告冨士子に委ねており、当初から資力はなかったこと、子供である被告博子から運用を相談された一億円についてはその運用先を紹介したりしている(乙四九の一ないし四、被告浦岡博子)が、それも一部は焦げついている有り様であること(被告浦岡博子)、他から積極的に資金を調達していたとの証拠はないこと、反対に、原告においては昭和四三年からほぼ一貫して貸金業を営んでいることからすると、右被告の主張はとうてい採用できない。

4  以上によれば、本訴請求は理由があるから認容され、反訴請求は棄却されることになる。

二  争点2のうち、敏博の遺骨及び本件位牌の帰属について

1  敏博の遺骨及び本件位牌の管理に関する事実関係は次のとおりである。

(一) 敏博は、高知県において警察官として勤務し、昭和五二年三月安芸警察署長を最後に定年退職し、その後家族が居住していた不動産及び退職金、預金、年金等めぼしい財産のほとんど全てを妻被告冨士子に渡し、あるいは委ねて家を出て、昭和五四年一二月ころから原告と内縁関係に入り、原告の住居において同棲を始めたことは、既に判示のとおりである。

(二) 原告と敏博は、同棲後、社会的に夫婦同然に生活し、他人から依頼されて夫婦として結婚の仲人をなし、また、敏博の弟である義博が平成六年一月に死去した際には、喪主敏博の妻横畠みな子と明記した会葬礼状を郵送し、敏博が死亡した平成七年三月ころには、原告と敏博は既に社会的に実体的な夫婦として認められており、敏博の死去に際しても、原告が喪主となって会葬を執り行い、喪主伊藤みな子とする会葬礼状を郵送した(併合事件乙一、二、証人藤崎美惠子、原告本人一、二回)。

(三) 敏博兄弟の先祖の位牌等の祭具は、当初、右義博が祭っていたところ、兄弟の合意のうえ、敏博と敏博のもう一人の弟である磨瑳博において、同様の祭具を作って二箇所(そのうちの一箇所は原告の住所)において祭るようになったが、本件位牌は原告において製作させ、原告の自宅において祭っている。

(四) 敏博は、生前において、原告と話し合った結果、一緒の墓に入ることにして、高知市内の小高坂山三の丸に墓地を求める準備中に死亡したが、原告において敏博の遺志を継ぎ、平成七年四月一二日右三の丸に墓地を購入し、墓碑を建立して敏博の遺骨を納めて、これを管理している(併合事件乙三、本訴甲二五の一、二、乙五二、原告本人第二回)。

2  ところで、被相続人が死亡した場合には、その遺体、遺骨も物体となって、所有権の対象となると考えるべきであるが、その遺体、遺骨の所有権といっても、性質上埋葬、管理、祭祀、供養の範囲内で権限を行使できるものであって、通常の所有権の概念からは著しく離れており、むしろ、祭具と近似するものであるから、民法八九七条の準用により承継されるとするのが相当である。

そして、前記に判示したとおり、敏博は、生前において、自己の遺骨の管理について、原告に委ねているのであるから、敏博の遺骨は原告において承継すべきものである。

なお、被告博昭は、予備的に敏博の長男として慣習上の祭祀承継者であると主張するが、既に判示のとおり、先祖の祭祀に関しては、敏博(原告)と敏博の弟が別々に祭っており、仮に、敏博が祭っていたものについては被告博昭が慣習上の祭祀承継者であるとしても、先祖の祭祀に関するものと敏博のそれとは同一に考えることはできず、敏博自身のものは敏博の意思が優先するというべきであるから、敏博の遺骨が祭祀財産であるといっても、被告博昭において、敏博の遺骨について所有権を取得するものではない。したがって、被告博昭の請求はその余の点について判断するまでもなく失当である。

3  本件位牌は、原告において、敏博を供養するために製作させたもので、敏博の遺骨、供養と一体となるものであるから、その所有権は原告に属し、被告らに帰属するとは考えられない。したがって、被告らの請求は認められない。

三  争点2のうち、表彰状及び勲章の帰属について

1  原告が正六位の表彰状及び勲五等瑞宝章を保管している経緯は既に「争いがないか証拠により容易に認定できる事実」として判示したとおりであり、証拠(原告本人一、二回、被告冨士子)及び既に他の争点に関して判示したところによれば、警察庁から表彰状等を原告に伝達した理由とする事実はほぼすべて認定できるところである。

2  被告は、死後叙勲による表彰状及び勲章は相続財産を構成し、被告ら三名は相続人であるから、不法占有者である原告に対して所有権に基づく引渡請求権を有する旨主張する。

確かに、勲章は本来着用することが建前であるから、死後叙勲もその発令日は生前の最後の日とされ、生前に叙勲されたように擬制されているため(栄典事務の手引き―監修総理府賞勲局)、死後に叙勲が行われても遡及効があり、生前の叙勲と同様の効果が発生し、その後誰が勲章を保持するかは相続法規によるとすることも全く考えられない理論ではないし、また、死後叙勲は、死亡した被叙勲者を表彰する行為と、死者に代わる者に勲章を保持させる行為が合体したものであって、勲章はその死者に代わる者に帰属し、その者が相続人である(これが祭祀承継者であるとすれば、原告の主張と同じになる)とすれば、やはり、被告ら三名が相続したものと考える余地がないではない(とはいえ、前者においては、法理論的にはかなり無理な構成であるし、後者においては、やや技巧にすぎるとの非難が可能ではある)。

しかしながら、勲章その他栄典の授与は、これを受けた者一代に限り効力を有するものであって(憲法一四条三項)、勲章は、生前叙勲の場合を考えると、被叙勲者本人のみがこれを保有できるというべきであり、被叙勲者の相続人は、被叙勲者本人が保有していた勲章について返還を免除される(保管を許される)に過ぎないと考えるのが相当であるから、相続人以外の者に勲章が伝達され、相続人において占有権を取得していない場合には、所有権は勿論占有権に基づく引渡請求権も有しないといわざるを得ない。

そして、本件の場合は、死後叙勲であるが、その理は生前叙勲と同様であって、死者となった被叙勲者のみが勲章を保有できるところ、既に生存していないために、これが相続人以外の者に伝達されたとしても、相続人において占有権を取得していない以上、所有権は勿論占有権に基づく引渡請求権も有しないというべきである。つまり、死者に与えられた栄誉というものは、この栄誉を表彰する勲章を争い合うということと全く無縁のものであって、本来誰が勲章を保管すべきであったかとの観点からの権利構成はできないと考えられる。

ちなみに、戦前における「勲章還納の件(明治二二年三月二一日勅令第三八号)」においては、叙勲を受けた者が死亡したときは勲章を還納させることも考えられるし、そのような例は各国に多くみられるが、子孫の情を考慮して還納を不問にするとされ、戦後の昭和二三年六月一一日に提出された栄典法案(不成立)九条一項は、「勲章は本人に限り終身これを着用することができ、その遺族はこれを保存することができる」との規定がされている。つまり、叙勲された個人が着用していた勲章は、その個人の遺族において単に保管を許されているに過ぎないとの考えが示されているのである。

したがって、本件の場合、既に判示のとおり、勲章は内縁の妻である原告が伝達を受けて保管している以上、いかに被告らが相続人であるとしても、所有権及びその所有権に基づく引渡請求権は有しないというべきであるから、被告らの請求は失当であって、これを認めることはできない。

四  以上の次第で、本訴請求は認容し、反訴及び併合事件の請求はいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官溝淵勝)

別紙〈省略〉

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